It always seems impossible until it’s done.
テレビCMも「誰に」ではなく「どんな気分に」

テレビCMも「誰に」ではなく「どんな気分に」

文脈ターゲティングの可能性

〜個別ID依存から、文脈ターゲティングへ〜

広告が「個人ID」などで出し分けられることは、デジタル広告においてはもはや当然とされてきました。この広告を最適化する仕組みは、PCやスマホの普及により、年齢・性別・興味関心といった “誰が見ているか” を軸にして、多くのプラットフォームで実装されています。

一方で、大画面テレビのような “共有型のデバイス” では状況が異なります。特に地上波テレビ(リニアTV)では、誰が見ているのかを特定することは難しく、たとえネット結線されていても個人ベースでの視聴測定は統計的な従来の手法に頼らざるを得ないのが実情です。

CTV広告の拡大にともない、「地上波のテレビCMでも、きちんと出し分けができるべきではないか?」という期待は高まっていることでしょう。ですが、現行の国内放送システムではデジタル広告のようにアドレサブル(個別)に広告を出し分けることは技術的に不可能です。では、「誰が」見ているのかが曖昧な環境において、どのように広告を最適化すればよいのでしょうか。

その鍵のひとつが、“どんな気分や文脈で視聴されているか”という観点で広告を出し分けること、すなわち「コンテクスチュアルID(文脈ID)」の活用です。

 

「前メタ」から広告出し分けへ──IRIS.TVの試み

この分野で先進的な取り組みを行っているのが、米国の IRIS.TV です。

IRIS.TVは、動画コンテンツに対して “前メタ” と呼ばれる文脈情報(ジャンル、トーン、構成、話題性など)をAIで付与し、それをもとに広告枠を分類しています。広告主は「感動的な動画の前後にCMを出したい」、逆に「政治・社会問題を扱った動画は避けたい」といった、文脈に応じた広告配信が可能になります。

これまで、広告配信における “文脈ターゲティング” は、主にニュース記事やブログといったテキストコンテンツを対象にしてきました。それを動画領域にまで広げた点に、IRIS.TVの革新性があります。

このような文脈ベースの出し分けは、単なるコンテンツの分類ではありません。視聴者がどのような心理的コンディションあるいは受容態度でそのコンテンツを見ているのか、そしてその状態において、どういった広告が受容されやすいのかといった、広告コミュニケーション本来の文脈を重視しています。

たとえば、家族で感動的なドラマを見ているときに表示される生命保険のCM。あるいは、テンポの良いバラエティ番組の直後に流れるカジュアルファッションのCM。そうした “空気感に合った広告” は、ターゲティングの精度以上に視聴者の記憶に残ることがあります。

 

日本市場における可能性と課題

では、こうしたIRIS.TV型の文脈ターゲティングは、日本でも実現可能なのでしょうか。

結論からいえば、十分に現実的で、むしろ日本だからこそ実装の意義が大きいと考えています。国内の地上波テレビやAVOD(TVer、ABEMAなど)は、比較的整備された番組編成やコンテンツジャンルの体系が存在します。実際にCTV広告では、いくつかのコンテクスチュアルターゲティング広告も始まっています。

米国ではACR(自動コンテンツ認識)が視聴測定自体に利用されることが主流ですが、国内でも方式は異なっても同等の番組視聴ログは蓄積されつつあります。「どの番組を、どの時間帯に、どの画面で」視聴していたかという基礎データを活用した動きは広がりつつあります。国内でも、それを活かしたコンテクスチュアルID活用の下地は整ってきています。

重要なのは、そこから一歩進んで、番組やコンテンツを「感情トーン」や「視聴態度」など、広告との相性に基づいて意味空間に再構成することです。ここでの「意味空間」とは、コンテンツを視聴者の心理状態や情緒に応じて再分類する発想を指します。単に「ドラマ」「バラエティ」と分類するのではなく、「グループ共感型」「エネルギー喚起型」「知的刺激型」など、広告受容に結びつく文脈軸で整理することが求められます。

 

IDから「文脈」へ:意味空間の再構築

従来の広告ターゲティングは、主に個人IDやデバイスIDなどに依存してきました。これに対し、文脈ターゲティングでは、“コンテンツの意味” “視聴状況の文脈” が新たなターゲティング軸になります。

特にテレビのように複数人視聴が前提のメディアでは、「誰が見ていたか」よりも「どういう状況で、どんな気分で見ていたか」が重要になる場面が増えていくはずです。広告を出し分けるための “IDの定義そのもの” が、今まさに進化しようとしています。

個人でも、世帯でもなく、“空間や気分のような抽象的なID” ──それが「コンテクスチュアルID」です。

こうした背景を踏まえると、テレビ広告も、いよいよ “出し分け” の時代に入りつつあるように思います。当然そこでは「視聴率」で測ることは困難なため、指標は「インプレッション」ということにはなるでしょう。ですが、その精度を決めるのは、必ずしも個人識別ではありません。 視聴状況や体験文脈といった非個人情報” による識別という視点こそが、これからの動画広告における価値の中核となっていくのではないでしょうか。

 

IRIS.TVの概要と特徴

プライバシーファースト時代の動画広告インフラを支える存在

なぜIRIS.TVが注目されているのか

IRIS.TVは、2013年にアメリカ・ロサンゼルスで設立された企業で、当初は動画のレコメンドなどに活用する「ビデオインテリジェンス」技術の提供を目的としていました。しかし近年では、サードパーティCookieの廃止やCTVの普及といった業界構造の大きな変化を背景に、「動画文脈に基づくターゲティング」という新しい領域で存在感を高めています。

2024年11月には広告プラットフォーム大手の Viant Technology に買収され、個人ではなく世帯単位のIDと、IRIS.TVの動画コンテンツIDとを組み合わせた独自の広告配信モデルを打ち出しています。

IRIS_IDの仕組みとその役割

IRIS.TVの大きな特長は、「IRIS_ID」と呼ばれる仕組みにあります。これは、あらゆる動画コンテンツに一意のIDを付与することで、Cookieや個人情報を使わずに「どんな文脈の動画が再生されているか」を特定できる技術です。IDに紐づいたコンテンツ情報は、パートナー企業がAIを使って分析しており、ジャンル・感情・ブランドの安全性などの詳細なデータが生成されます。

たとえば、子ども向け番組を視聴中であれば、それにふさわしい広告が配信され、大人向け広告は避けられるようになります。この仕組みにより、視聴者の体験を損なうことなく、広告の関連性や安全性を高めることができます。

分析は自社で抱えず、外部の専門性を活用

IRIS.TVはすべての分析を自社で行うのではなく、GumGumOracleIBMIASComscoreなど、業界トップの分析パートナーと連携しています。動画の内容(映像・音声・テキスト)をフレーム単位で精緻に分析し、それをIRIS_IDに紐づけるかたちでコンテキスト情報を整備しています。

この「マーケットプレイス型モデル」によって、IRIS.TVは自社がすべてを抱え込むことなく、高品質で多様な分析を可能にしているのです。

広告配信時にどう活用されるのか

実際に広告が表示されるタイミングでは、IRIS_IDが広告リクエストに含まれ、各広告プラットフォーム(DSPやSSP)がこのIDをもとに文脈データを参照します。広告主は、その動画の内容に応じてリアルタイムで入札するかどうかを判断できるため、「誰が見ているか」ではなく「何を見ているときに表示するか」に基づいた、より高精度な広告配信が実現します。

IRIS.TVのビジネスモデルと強み

IRIS.TVの強みは、広告業界全体の “つなぎ役” として機能する中立的なデータ基盤にあります。Viantに買収されたあとも、他のDSP(The Trade Deskなど)とも連携し、IRIS_IDを業界全体で活用できる共通通貨のような存在に育てようとしています。

また、パブリッシャー側にとっても、IRIS.TVを導入することで動画の価値を高め、広告単価やフィルレート(広告表示率)の向上が見込めます。さらに、大量の動画を手作業で分類する必要がなくなるなど、運用効率の面でもメリットがあります。

Googleとの違いと競争優位性

Google(YouTube)はすでに高度なコンテクスチュアルターゲティング機能を持っていますが、それはあくまで自社プラットフォーム内で完結する仕組みです。一方、IRIS.TVはTCLや CBSUnivision といった多様なパブリッシャーに対応し、オープンインターネット全体にまたがる標準化されたデータ接続インフラを目指しています。

同様の領域には Peer39 GumGum(Verity)といった競合も存在しますが、IRIS.TVは自らが分析を行うのではなく、複数の分析パートナーを結ぶ「コンテクスチュアルデータの交通整理役」に徹している点が差別化ポイントです。これは、拡張性と中立性の両立に優れたアプローチと言えるでしょう。

 

IRIS_IDのような仕組みは、リニアTV(国内での地上波テレビCM)に向けたものではありませんが、この「動画文脈に基づくターゲティング」という考え方は、地上波テレビCMに大きな変革をもたらすような気がしてなりません。俗にいう「運用型」テレビCMを加速させるような話ではなく、スポットCMだけでもなく、タイムも含めたテレビCMの価値自体を再定義し直すものとなるでしょう。

 

Programmatica Inc.
Yoshiteru Umeda|楳田良輝