テレビ広告取引の通貨監査ガイドライン
JICとは何か

テレビ広告の世界は、長らく「GRP(延べ視聴率)」をベースに取引されてきました。しかし近年は、デジタル広告の影響を受け、「インプレッションベース」の取引への移行が加速 しています。米国では特に、放送とストリーミングが融合する「コンバージドTV」環境の中で、広告取引の基盤をどう整えるかが大きな課題となっています。
この課題に対して、米国で2023年に設立されたのが JIC(Joint Industry Committee|米業界合同委員会) です。プログラBLOGでは何度か取り上げてきていますが、JICは買い手(広告主・広告会社)と売り手(放送局・配信事業者)が一堂に会し、透明性と信頼性を備えた新しい広告測定基準を整えることを目的とした業界横断な組織です。
2025年7月に公開された中間監査のレポートである「2025-2026年放送シーズンにおけるテレビ広告取引の通貨監査ガイドライン」(Guidelines for Transactability for the 2025–2026 Broadcast Season)では、すでに認証を受けた3社(Comscore、iSpot、VideoAmp)の取引可能性を再確認するとともに、今後のマルチカレンシー時代を見据えた課題が示されています。本レポートでは、その要点を整理し、広告主・広告会社にとっての示唆を与えています。
JICとMRCの違い
JICの役割を理解するには、よく比較される MRC(Media Rating Council|米メディア測定評議会) との違いを知っておくことが重要です。
- MRC:独立した認証機関であり、測定手法が技術的に正しいかを審査する役割
- JIC:市場のガバナンス機関として、測定ソリューションが実際に「取引可能かどうか」を判断する役割
つまり、MRCが「測定方法は正しい」と認めるのに対し、JICは「このデータは実際の広告取引に使える」と判断するわけです。
また、JICは単一通貨を推奨するのではなく、複数通貨が並立する「マルチカレンシー市場」を前提としています。この考え方は、NetflixやYouTubeを含む多様な動画環境を横断して広告を取引する現実に即したものです。
認証の仕組みとテスト内容
JICの認証は三段階に分かれています。
フェーズ1:RFI(質問票)による条件付き認証
- 9カテゴリー54問の質問に回答
- ビッグデータの活用、技術基盤、相互運用性、プライバシー遵守、透明性、ガバナンス、クロスプラットフォーム測定、統合性、メディア横断の透明性といった分野を評価
- スコア3以上(=取引可能レベル)を獲得した企業が条件付き認証を得ている
フェーズ2:実データ検証
- 各社が標準化されたデータセットを提出。850以上のテストを実施
- 評価は以下の3カテゴリー:
- 広告供給(Ad Supply):全体スコアの80%
- インプレッション積み上げの正確性
- デモグラフィックや世帯ごとの集計論理
- 視聴データの安定性
- ネットワーク全体(特にロングテール)のカバレッジ
- キャンペーン評価(Campaign Evaluation):15%
- 実際の広告出稿をどう評価できるか
- データ評価質問票(Data Evaluation Questionnaire):5%
- 手法やデータソースに関する透明性
- 広告供給(Ad Supply):全体スコアの80%
フェーズ3:中間監査(今回のレポート)
- 認証済み企業の手法更新や改善を再検証
- 116問の質問と699件の広告供給テストを実施
- 取引実務に引き続き耐えられるかを評価した
この厳密なプロセスは、従来のテレビ視聴率調査にはなかった「リアルタイム性・透明性・実務性」を重視しています。
中間監査の結果(2025年)
Comscore
- パーソナライズド・デモグラフィックで新たに認証
- 透明性とデータ品質が改善
- ただし、デジタルネットワークのデータは未提供という課題も残る
iSpot
- 全テスト領域で安定性と完全性を示し、最も高い評価
- 特にスポーツイベントのデータ一貫性が強み
- 「測定の安定性と包括性」においてリーダー的な存在と評価された
VideoAmp
- 技術面の実行力は十分だが、回答の詳細性やフォーマット一貫性に改善余地
- 細分化されたオーディエンスやイベント内指標に課題が残る
- また、アフリカ系・ヒスパニック系データの提供が不足している
まとめると、3社とも取引可能性を維持したが、それぞれに強みと課題があることが確認されました。
なぜ、この監査は重要なのか
米国では、テレビ広告費だけでも数兆円規模にのぼります。その基盤となる数値が不正確であれば、投資判断全体が誤るリスクがあります。
さらに、AIがメディアプランニングや最適化に組み込まれると、小さな測定誤差が一気に拡大する危険性 があります。たとえば、偏ったデータをAIに学習させれば、その偏りが市場全体に波及する可能性があるのです。
そのため、今回のJICレポートが強調するのは、「数値がどのように作られるのか」を透明にすること。これは単なる技術的要件ではなく、業界全体の持続可能性を守るための前提条件なのです。
広告主・広告会社への示唆
今回のレポートから、実務に直結するポイントを整理すると次のようになります。
- キャンペーン設計時に通貨を明示すること
→ 企画段階から「どの通貨を基準にするか」を合意しておくことで、後の評価や精算で混乱を防ぐ - 測定会社に必ず確認すべき質問
- データソースは何か?(Smart TV、STB、パネル調査などの割合)
- モデルの精度とバイアス補正方法は?
- 個人属性の付与は決定論か確率論か?
- データ重複排除(デデュプリケーション)の粒度は?
- プライバシー規制(GDPR/CCPAなど)への準拠はどう担保されているか?
- ワークフロー整備
- データ入力や出力フォーマットの標準化
- マルチ通貨を横並びで比較できるダッシュボードの導入
- チームのクロストレーニングや自動化による効率化
これらを実行することで、複数通貨が併存する環境でも一貫性を保ちながら取引を進めることができます。
最後に
JICの取り組みは、米国の広告市場における「マルチカレンシー時代」の到来を象徴しています。従来の「どの指標が正しいか」という議論ではなく、「どの通貨をどの場面で使うべきか」 が問われる時代になったのです。
今回の中間監査は、3社それぞれの取引可能性を再確認すると同時に、透明性やデータの完全性といった基準が、これからの広告取引に不可欠であることを改めて示しました。
日本市場においても、いずれ「GRPを中心した取引からインプレッション取引へ」という流れは避けられません。そのときに備え、JICの枠組みから学べるのは、透明性・比較可能性・標準化を業界全体でどう確立するか という点です。
AI時代においては、測定の小さな齟齬が市場全体の歪みを生みかねません。だからこそ、今のうちに「数値の作られ方」を徹底的に透明化し、共通理解を持つことが将来の健全性を守る第一歩になるのです。
もっと詳細にレポートをご覧になりたい場合は、以下より入手可能です。
Source:JIC, “Guidelines for Transactability for the 2025–2026 Broadcast Season”, July 10,2025
Programmatica Inc.
Yoshiteru Umeda|楳田良輝