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AIが変えた「広告のかたち」
AIが生成するマーケティング施策は、これまで人間が何十時間もかけて構築していたプランニングを、数秒で出力するようになりました。その結果、広告は「誰に、何を、どう伝えるか」という “届け方の最適化” が飛躍的に高まります。そして、それはさらに進んでいくことでしょう。
その一方で、私たちはある “静かな変化” に気づくべきかもしれません──広告が「通知」へと変わりつつあることです。
ターゲティングの極地=通知化
AIによってパーソナライズされた広告は、「今、この人が関心を持ちそうなもの」をこれまで以上に正確に届けるようになります。そして、その精度が上がれば上がるほど、それはもはや “通知” に近いものとなります。
広告は、生活者が気づいていなかったある種の “問い” を提示する場でもありました。
しかし、AIが過去の履歴と類似パターンから最適な商品だけを推薦するようになると、その偶然性や発見は失われます。
つまり、パーソナライズの果てに、広告は「予測可能な情報」となり、それはもう “広告ではなく答え” になるということです。
“広告らしさ”とは何か?
“広告らしさ” とは、文脈にひらかれ、意味に揺らぎがあることです。AIは、物事の「構造」は理解しますが、「意味」までは理解しません。いや、理解しないというよりも、そもそも「理解」ということが、人が持つ意識や感情、経験に基づいた複雑な認知プロセスによるものなので、統計的な関連性や確率に基づく生成AIの「推論」には関係がないことなのです。
したがって、偶然テレビをつけたら、なぜか今の自分に響くCMが流れていた──そんな体験は、意味のない偶然ではなく、人が共通する時間や空気を通じて得る “文脈の共鳴” なのです。
それは、過度なターゲティングでは再現できませんし、通知によっても代替できません。
広告とは、「共通の文脈をつくる体験」であるといえます。
テレビCMが “広告の本質” を回復する場所になる理由
ここで、テレビCMの価値が再浮上してきます。
テレビCMは、一見すると「不特定多数への一方向の配信」に思えるかもしれません。
ですが、裏を返せば、共通の時間と空間にひらかれた “偶然性の装置” でもあります。SNSなどは、パーソナルな関心に閉じていきますが、テレビは「みんなで同じ時間を生きている」ことを感じさせるメディアともいえます。
さらに今後、AIによって「広告=通知」化が進めば進むほど、「予測できない広告」としてのテレビCMの価値は相対的に高まるのではないかと考えています。
ローカル局の役割と、広告の未来像
特にローカル局にとって、この変化は “希望の兆し” だと考えています。
AIにはまだ再現できない「地域文脈」「生活者の空気感」「偶然の共鳴」は、ローカルテレビ局がもっとも得意とする領域ではないでしょうか。ローカル局は、広告を通知にせず、「文化的な共鳴のトリガー」として届けることができる可能性を持っています。
それは、キー局からの分配金モデルに頼らずとも、“文脈価値” を媒介するプレイヤーとしての新しい役割を持ちうることを意味します。
生成AIの時代に、多くの広告が “通知” となってしまう時──テレビCMは、
広告が “文脈をつくり、共感を生む体験” として機能する、そんな「広告であること」を取り戻す、最後の場所になるのかもしれません。
今、その可能性を信じられるかどうかが、私たちの “問い” なのです。
Programmatica Inc.
Yoshiteru Umeda|楳田良輝