It always seems impossible until it’s done.
小説、テレビ信陽〜第15話「社長代行」

小説、テレビ信陽〜第15話「社長代行」

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帰路

黒沢との会食後、東京支社での定例報告も済ませ、東京駅のホームに着いたのは、夕方の5時を少し過ぎたころだった。新幹線の自由席は空いていた。窓際の席に座り、発車を待ちながら、森崎はイヤホンを付けてスマホは鞄にしまった。

黒沢との会話を、もう一度なぞるように思い返しながら——いや、思い返すというより、まだそこから出られていなかった。

「あなたに引き継いでほしいからです」

窓の外、東京の街が動き始めた。

引き継ぐ、とはどういうことか。社長の高野が数年かけて準備してきたものを、自分が受け取る。信陽建設との膿みを出し切り、SYTをサクラTVホールディングスの構想に乗せる。放送と通信を融合させた未来型の地域インフラ——森崎が中計書Ver.2に書いたことと、同じ方向を指していた。

ただ...。

森崎は窓の外を見た。東京の街が後ろに流れていく。
自分は、その構想の全体を知らないまま、あのVer.2を書いた。高野が何を考えていたか、黒沢が何を狙っているか、何も知らないまま。それでも、同じ場所に辿り着いていた。

それは偶然か。あるいは——高野が最初から、そうなるように設計していたのか。

「2年前に東京支社の営業部門から本社の経営企画室へ」

自分の異動もそうだ。高野が意図的に選んだ。辻本を引き留めたのも高野だった。全てが繋がっていた。
では、自分はその設計の中の一つのパーツだったのか。

黒沢との個室での会話が、車窓の景色に重なった。

イヤホンからは、Ja Punks Jr.という変わった名前のバンドの卒業ソングが流れてきた。
卒業、もうそんな時期か...。

新幹線が品川を過ぎたあたりで、スマホの通知音がイヤホンから聞こえた。
鞄からスマホを取り出してみると、それは田所からだった。

「森崎さん、社内で動きがありました。高野社長が病気休養に入られたようです。上田専務が社長代行になられるみたいです。中計書は一旦ペンディングと聞きました」

森崎は画面を見たまま、しばらく動かなかった。

「病気休養?」

スキャンダルが出て、否定もせず、沈黙を続けて——そして「病気休養」。それが今の高野に選べる最善の形なのだろう。辞めない。解任もされない。ただ、姿を消す。

次のメッセージが来た。

「入社式も上田代行が挨拶するみたいです。もう4月ですからね」

森崎はスマホを膝の上に置いた。
窓の外、新幹線は新横浜の住宅街を抜けていた。

信陽の風景

信陽に戻ったのは、夜の9時を回ったころだった。
陽北駅のホームに降りると、空気が東京と違った。少し冷たく、少し湿っていた。信陽の夜の空気だった。
タクシーに乗りながら、森崎は窓の外を見た。

陽北市の夜景は、地味だった。東京のように光が溢れているわけでもなく、かといって寂しすぎるわけでもない。ただそこに、街があった。

SYTのカメラが55年間撮り続けてきた景色。

高野が「信陽でできるかもしれない。規模が小さいからこそ、実験できる」と言った街。

黒沢が「SYTさんにとって、悪い話ではないはずです」と言った街。

中田が「今夜も報道部で灯りをつけている」かもしれない街。

森崎は、自分がこの街の出身ではないことを思い起こした。横浜育ちで、東京の大学を出て、就職先としてテレビ信陽に入った。新卒時代を除けば、本社に来たのもわずか2年前だ。
それでも——この街のことを、森崎は書いた。信陽県の産業構造、放送エリアの人口、地域の流通と地銀の関係。数字を拾い、戦略を書いた。

その中計書が、一度取締役会で承認されたにかかわらず、棚上げになった。

翌朝のSYT社内

翌朝、出社すると社内の空気は変わっていた。
いつもと同じ廊下、同じフロア。しかし何かが違った。「通常通り業務を」という雰囲気が強く張り付いていた。誰もがよそよそしい顔をしていた。

経営企画室に入ると、田所が待っていた。

「お疲れ様です。東京、どうでしたか?」

「まあ」と森崎は答えた。「色々あった」

田所は何かを言いかけて、やめた。森崎の顔を見て、それ以上聞かない方がいいと判断したようだった。

デスクに座り、パソコンを開いた。メールが溜まっていた。
その中に、一件だけ、上田正文の名前があった。

件名:「2026-2028年度 中期経営計画について」

森崎は少しの間、その件名を見ていた。
開いた。本文は短かった。

「次期中期経営計画については、現在の経営状況を鑑み、一旦、延期とします。
再開時期については追って連絡します。 専務取締役 上田正文(社長代行)」

本当に棚上げ、だった。

森崎はメールを閉じた。引き出しを開けた。クリアファイルの中のコピー。

高野は「病気休養」で姿を消した。中計は棚上げになった。自分が2年かけて書いたものが、一通のメールで止まった。しかし——黒沢は言った。「高野さんが動けなくなった今、SYTの中で、この話を続けられる人間が必要です」

森崎は引き出しを閉めた。どうするのかは、まだ決めていない。

入社式

4月1日、SYTの入社式が行われた。

例年、代表取締役社長が新入社員に “歓迎の詞” を述べる。今年は違った。上田正文・社長代行が演台に立った。入社式は人事部と総務部の担当だ。森崎は会場の後ろの方に立っていた。

上田の挨拶は、落ち着いていた。

「地に足のついた経営」「地域に根ざした放送局」——SYT叩き上げの上田らしい言葉が続いた。悪い挨拶ではなかった。しかし、高野が去年の入社式で言った言葉とは、全く違った。

今年も新入社員たちは、真剣な顔で聞いていた。
会場の壁に、SYTのキャッチコピーが書かれていた。

「信陽を、伝え続ける。」

森崎はその文字を見た。

伝え続ける——何を、どうやって、誰のために。

その答えも、まだ出ていなかった。

ー つづく ー

 

作:楳田 良輝|Yoshiteru Umeda

 

 

*本小説はフィクションです。出典・引用などを除き、登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。