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帰路
黒沢との会食後、東京支社での定例報告も済ませ、東京駅のホームに着いたのは、夕方の5時を少し過ぎたころだった。新幹線の自由席は空いていた。窓際の席に座り、発車を待ちながら、森崎はイヤホンを付けてスマホは鞄にしまった。
黒沢との会話を、もう一度なぞるように思い返しながら——いや、思い返すというより、まだそこから出られていなかった。
「あなたに引き継いでほしいからです」
窓の外、東京の街が動き始めた。
引き継ぐ、とはどういうことか。社長の高野が数年かけて準備してきたものを、自分が受け取る。信陽建設との膿みを出し切り、SYTをサクラTVホールディングスの構想に乗せる。放送と通信を融合させた未来型の地域インフラ——森崎が中計書Ver.2に書いたことと、同じ方向を指していた。
ただ...。
森崎は窓の外を見た。東京の街が後ろに流れていく。
自分は、その構想の全体を知らないまま、あのVer.2を書いた。高野が何を考えていたか、黒沢が何を狙っているか、何も知らないまま。それでも、同じ場所に辿り着いていた。
それは偶然か。あるいは——高野が最初から、そうなるように設計していたのか。
「2年前に東京支社の営業部門から本社の経営企画室へ」
自分の異動もそうだ。高野が意図的に選んだ。辻本を引き留めたのも高野だった。全てが繋がっていた。
では、自分はその設計の中の一つのパーツだったのか。
黒沢との個室での会話が、車窓の景色に重なった。
イヤホンからは、Ja Punks Jr.という変わった名前のバンドの卒業ソングが流れてきた。
卒業、もうそんな時期か...。

新幹線が品川を過ぎたあたりで、スマホの通知音がイヤホンから聞こえた。
鞄からスマホを取り出してみると、それは田所からだった。
「森崎さん、社内で動きがありました。高野社長が病気休養に入られたようです。上田専務が社長代行になられるみたいです。中計書は一旦ペンディングと聞きました」
森崎は画面を見たまま、しばらく動かなかった。
「病気休養?」
スキャンダルが出て、否定もせず、沈黙を続けて——そして「病気休養」。それが今の高野に選べる最善の形なのだろう。辞めない。解任もされない。ただ、姿を消す。
次のメッセージが来た。
「入社式も上田代行が挨拶するみたいです。もう4月ですからね」
森崎はスマホを膝の上に置いた。
窓の外、新幹線は新横浜の住宅街を抜けていた。
信陽の風景
信陽に戻ったのは、夜の9時を回ったころだった。
陽北駅のホームに降りると、空気が東京と違った。少し冷たく、少し湿っていた。信陽の夜の空気だった。
タクシーに乗りながら、森崎は窓の外を見た。
陽北市の夜景は、地味だった。東京のように光が溢れているわけでもなく、かといって寂しすぎるわけでもない。ただそこに、街があった。
SYTのカメラが55年間撮り続けてきた景色。
高野が「信陽でできるかもしれない。規模が小さいからこそ、実験できる」と言った街。
黒沢が「SYTさんにとって、悪い話ではないはずです」と言った街。
中田が「今夜も報道部で灯りをつけている」かもしれない街。
森崎は、自分がこの街の出身ではないことを思い起こした。横浜育ちで、東京の大学を出て、就職先としてテレビ信陽に入った。新卒時代を除けば、本社に来たのもわずか2年前だ。
それでも——この街のことを、森崎は書いた。信陽県の産業構造、放送エリアの人口、地域の流通と地銀の関係。数字を拾い、戦略を書いた。
その中計書が、一度取締役会で承認されたにかかわらず、棚上げになった。
翌朝のSYT社内
翌朝、出社すると社内の空気は変わっていた。
いつもと同じ廊下、同じフロア。しかし何かが違った。「通常通り業務を」という雰囲気が強く張り付いていた。誰もがよそよそしい顔をしていた。
経営企画室に入ると、田所が待っていた。
「お疲れ様です。東京、どうでしたか?」
「まあ」と森崎は答えた。「色々あった」
田所は何かを言いかけて、やめた。森崎の顔を見て、それ以上聞かない方がいいと判断したようだった。
デスクに座り、パソコンを開いた。メールが溜まっていた。
その中に、一件だけ、上田正文の名前があった。
件名:「2026-2028年度 中期経営計画について」
森崎は少しの間、その件名を見ていた。
開いた。本文は短かった。
「次期中期経営計画については、現在の経営状況を鑑み、一旦、延期とします。
再開時期については追って連絡します。 専務取締役 上田正文(社長代行)」
本当に棚上げ、だった。
森崎はメールを閉じた。引き出しを開けた。クリアファイルの中のコピー。
高野は「病気休養」で姿を消した。中計は棚上げになった。自分が2年かけて書いたものが、一通のメールで止まった。しかし——黒沢は言った。「高野さんが動けなくなった今、SYTの中で、この話を続けられる人間が必要です」
森崎は引き出しを閉めた。どうするのかは、まだ決めていない。
入社式
4月1日、SYTの入社式が行われた。
例年、代表取締役社長が新入社員に “歓迎の詞” を述べる。今年は違った。上田正文・社長代行が演台に立った。入社式は人事部と総務部の担当だ。森崎は会場の後ろの方に立っていた。
上田の挨拶は、落ち着いていた。
「地に足のついた経営」「地域に根ざした放送局」——SYT叩き上げの上田らしい言葉が続いた。悪い挨拶ではなかった。しかし、高野が去年の入社式で言った言葉とは、全く違った。
今年も新入社員たちは、真剣な顔で聞いていた。
会場の壁に、SYTのキャッチコピーが書かれていた。
「信陽を、伝え続ける。」
森崎はその文字を見た。
伝え続ける——何を、どうやって、誰のために。
その答えも、まだ出ていなかった。
ー つづく ー
作:楳田 良輝|Yoshiteru Umeda
*本小説はフィクションです。出典・引用などを除き、登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

