It always seems impossible until it’s done.
小説、テレビ信陽〜第14話「黒沢という人物」

小説、テレビ信陽〜第14話「黒沢という人物」

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東京への新幹線

森崎が東京行きの新幹線に乗ったのは、黒沢から電話があった翌々日のことだった。

出張の理由は作った。東京支社への定例報告——そういう名目にした。スキャンダル以来、社内の空気は重く淀んでいた。経営企画室に用のない人間が廊下をうろつき、総務部長が何度も役員フロアに呼ばれていた。森崎は静かにデスクで仕事をしながら、その空気を吸い続けていた。

黒沢には会いたかった。会うべきだと思った。
でも、東京に行きたかった、というより——信陽にいると、“考えること” ができなかった。

新幹線の窓から信陽の海と山並みが遠ざかっていくのを見ながら、森崎は引き出しに残してきたコピーのことを思った。株主名簿。信陽建設の0.3%。陽信投資事業有限責任組合。YGMキャピタルマネジメント。そして、これから会う黒沢哲也という人物。

「高野社長からも、一度森崎さんとお話するよう言われていまして」

あの電話の声は、穏やかだった。急かすところが何もなかった。

黒沢が指定してきたのは、東京・赤坂にある小さなステーキハウスだった。
ビルの地下、エレベーターを使わず階段で降りると、一見では開けられそうもない重厚な木製の扉があった。指定された店名と同じだったので、ゆっくり扉を引いた。店に入ると照明は落とされていて、外の音はまったく届かない感じだった。

丁寧に部屋に案内された。黒沢哲也は既に座っていた。

40代半ば。スーツは地味な紺色だったが、自分のスーツとは素材が違って見えた。眼鏡をかけていた。腕時計は見えなかった。隣に若い女性が座っていた。黒いジャケットだった。

「森崎さん、遠いところをわざわざ」と黒沢は言った。
「東京でとおっしゃっていただいて、助かりました」

「こちらこそ、ご連絡いただきありがとうございます」と森崎は答えた。

飲み物を聞かれ、森崎はお水で、と言った。黒沢は「ミネラルウォーターを」と頼んだ。

しばらく、WBCで日本が負けてしまったこと、緊迫する海外有事のことなどを話をした。だが、互いの主張は控えた。黒沢はこの店のことをよく知っていた。肉の産地、熟成の方法、シェフの経歴——まるで常連のように話した。いや、常連なのかもしれない、しかし森崎には、その話が会話のためではなく、間を測るためのものに聞こえた。

隣の女性は、黒沢が何か言うたびに必要そうな部分だけ素早くメモを取った。

スキャンダルの真相

前菜が来たころ、黒沢が少し低い声で話し始めた。

「高野社長のスキャンダル、ご覧になりましたね」

「はい」

「あの写真の女性は、ここにいる私の秘書です」隣に座る女性が小さくうなずいた。

森崎は手を止めなかった。

「高野社長と私は、その夜も別の店でお会いしていました。彼女はアテンドのために同行していました。私も近くにいました。ただ——週刊誌が載せた写真に私は写っていなかったです」

「週刊誌は、二人の密会だと・・」森崎はたずねた。

「そう見えたのでしょう」と黒沢は静かに言った。「あるいは、そう見えるように仕立てられた」

森崎は黒沢を見た。

「では、高野社長はなぜ否定しないのですか?」

「私との接触が表に出れば、私たちが進めていたことが全て止まる。社長はそれを選ばなかった」

「それを選ばなかった?」と森崎は繰り返した。私たち、という言葉よりもそれが気になった。

「ご自身の名誉より、進めていたことを優先された」と黒沢は言った。
「それが高野さんという人です」

メインの皿が来た。

黒沢は少し間を置いてから、また話し始めた。

「私と高野さんが最初に会ったのは、4年ほど前です」

きっかけは、信陽建設だった——と黒沢は言った。
その前に、自分が東京の有名私立大出身であることを先に話した。

中学時代からの学友が、信陽建設の創業家一族で、現在取締役をしている。その友人から相談を受けた。現在の経営陣が長年続けてきた不正を明らかにして、会社を健全化したい。その過程でSYT株を売却したいが、特殊な持ち株なので、それをキー局に持っていくべきか、他の選択肢があるか——。
そんな相談を最初にされた、ということだった。

「私はテレビ局の人間ではありませんが、メディアと地域の関係には長く関わってきました」と黒沢は言った。
「ローカル局の再編が始まる。それは時間の問題だと思っていた。ただ、生き残りのための統合だけでは意味がない、とも思っていた」

森崎はすぐに聞き返した。「意味がない、というのは?」

黒沢は少し考えてから答えた。

「統合してコストを削減して、何が残るのか。同じことを二局でやるだけでは、地域は何も変わらない。ローカル局が本当に地域に必要とされるためには、やることが変わらなければならない」

森崎は黙って聞いていた・・。

「その少し前、高野さんがSYTの社長に就任されていた。代理店出身で、コンサルやメディアの経験もお持ちの外部の目を持つ人。私は共通の知人を通じて最初にお会いました」

放送の再定義

ワインが注がれた。黒沢は少しだけ口をつけた。

「高野さんとお会いしたとき、私は米国の話をしました」と黒沢は言った。
「米国の EdgeBeam Wireless はご存知ですか?」

「名前くらいは...」と森崎は答えた。

「元々はBitPathなど複数の取り組みがあったのですが、それらが統合される形で、EdgeBeam Wirelessとして整理されてきています」
「NexstarやSinclairをはじめとした、米国の大手ローカル局グループが作った会社です。放送の電波を使って、データ通信サービスを地域に提供する。テレビを見るための電波ではなく、地域のインフラとして電波を使う」

「通信の一部になる、ということですか?」

「放送が——使われるものになる、ということです。見るものではなく」

森崎は少し止まった。

「高野さんはその話を聞いて、こう言われました」と黒沢は続けた。
「『これは信陽エリアでできるかもしれない。規模が小さいからこそ、実験できる』と」

森崎の頭の中で、何かが動いた。

中計書Ver.2に書いたこと。SYTリテールメディア・プラットフォーム。地銀と流通と組んだ地域経済のプラットフォーム。視聴指標の再定義。

自分が書いたものと、黒沢が今語っていることが——同じ場所を指していた。

「テレビって」と森崎は言いかけた。でも、一度その言葉を飲んだ。
「見られていなくても、機能するんですかね?」

それは、黒沢への質問ではなく、自分に問うた言葉でもあった。

「します」と黒沢は静かに言った。「むしろ、その方が強いかもしれない」

デザートが来た。シンプルだが品のあるデザートだった。
でも、黒沢はそれに手をつけなかった。

「信陽建設の役員、私の友人から再度連絡が来たのは、昨年の夏くらいでした」と黒沢は言った。
「SYT株を我々に任せたいと思っている。本当に引き受け可能か?」そういう相談でした。

「信陽建設の0.3%」と森崎は言った。

黒沢は少し目を細めた。「ご存知でしたか?」

「株主名簿で確認していました」

「陽信投資事業有限責任組合は、この案件のために設立しました。登記は信陽ですが、運営はYGMキャピタルが担っています。高野社長が取締役会で譲渡を提案され、承認されたのは——その経緯をご存知だったからです」

黒沢は森崎の反応を待たず、続けた。
「スキャンダルを公にするということは、非公開株ですが、その価値にも影響はあります」
「私の友人も、その前に売り抜けることは当然考えていない」
「きちんとした形で、過去の過ちを精算し、やり直すことを望んでいます」

黒沢はワインを少し口にした。

「ただ、その後にSYT株を譲渡する道筋は準備しておく必要はありました。そのための0.3%です」

森崎は、東京から遠く離れた、自分のデスクの引き出しの奥のコピーのことを思った。
辻本が持ってきた日のことを思い返した。

「提案者は高野社長です」という辻本の言葉を。

全てが繋がった。

高野は知っていた。0.3%の意味を。陽信投資の正体を。
そして辻本に、森崎に届けるよう——高野社長の指示で?辻本の判断として?——いや、どちらか。

「当社の辻本のことは、ご存知ですか?」と森崎は黒沢にたずねた。

「高野社長が3年前に嘱託として引き留めた方ですね」と黒沢は静かに言った。
「高野社長が信頼していた方でした」

黒沢は辻本が亡くなったことは、当然のように知っているようだった。

森崎は少しの間、黙っていた。

「高野社長が、私と話すよう言ったのは」

「あなたに引き継いでほしいからです」と黒沢は言った。
「高野さんが動けなくなった今——SYTの中で、この話を続けられる人間が必要です」

窓のない個室に、長い沈黙があった。

黒沢は最後にこう言った。

「SYTさんにとって、悪い話ではないはずです」

ー つづく ー

 

作:楳田 良輝|Yoshiteru Umeda

 

 

*本小説はフィクションです。出典・引用などを除き、登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。