陽北新地の夜
高野が指定したのは、陽北駅前から近い新地と呼ばれるエリアの外れにある小さな居酒屋だった。
ローカル局とはいえ、テレビ局の社長が指定してくるお店としては意外な感じがした。
カウンター8席、小上がりが二つ。地元の常連が集まる店で、SYTの社員が接待に使うような店ではない。
高野が「ここを知っているか?」と電話で言ったとき、森崎は知らなかった。
「たまに一人で来るんだ」と高野は言った。「誰にも会わないんでね」
カウンターの端の席に二人で座った。
高野は「とりあえず、ビールを」と言い、森崎はグラスを二つ頼んだ。
しばらく、業務的な話はしなかった。
Ver.2の提出について、高野は「よくやった」と一言だけ言った。それ以上は言わなかった。
グラスが半分ほど空いたころ、高野が口を開いた。
「森崎くんは、5年後のSYTをどう見てる?」

高野の読み
「正直に言うと...」と森崎は答え始めた。
「楽観はしていません。中計が機能したとしても、テレビ広告市場の縮小、特に地上波の落ち込みは止まらないと思います。経営臨界点まで、時間的な余裕はそう長くないと思います」
「そうだな」と高野は言った。否定しなかった。
「私も同じ見立てだ。ただ、私が心配しているのはそっちじゃない」
高野はグラスを置いた。
「1局2波の話、追いかけてるか」
「はい。総務省の有識者会議が2月に方向性を出しましたね」
「あれは始まりだ」と高野は言った。
「省令改正まで早ければ1年、遅くても2〜3年。そうなったとき、地方局の再編が一気に動く。キー局より先に、ローカルから始まる。それが私の読みだ」
森崎は黙って聞いていた。
「キー局はどうなると思う」と高野は続けた。
「日の丸、中央、テレビ朝霧あたりは残る。系列の強さ、コンテンツIP、資本構造——生き残る根拠がある。湾岸テレビは今の状態では厳しい。テレビ東陽は経済報道に特化して独自路線が見えている。面白いのは日の丸と中央だ」
「統合の可能性がある、ということですか?」
「現状の視聴者構成が近い。視聴率の落ち込みを補完できる関係にある。日の丸が始めたインプレッション取引の新システム「CM MAX MAX」——テレビCMをデジタル広告と同じ土俵で扱おうという試みだが——あれに中央テレビも賛同して参加を表明した。ビジネス面での協調の実績ができつつある。日の丸と朝霧は親会社の新聞社のスタンスが真逆だから統合はないだろう。だとすれば、日の丸と中央の組み合わせは、あり得ない話じゃない」
森崎は少し考えた。「SYTもK系ですね」
「ああ」と高野は言った。「K系は元々結束が強い。他の系列にはない排他的なルールを持つほどの結束だ。私が来る前から、上田さんはそのK系の中でSYTを生かしてきた。それは間違いじゃないとは思っている」
「ただ...」と高野は言った。
「ただ?」と森崎も繰り返した。
「1局2波が動いたとき、K系の結束が本当に維持できるかどうか——私には確信が持てない。強い結束は、強いストレスがかかったとき、脆く折れることもある。以前代理店にいたころ、そういう場面を何度か見た」
存続会社の条件
高野は2本目のビールを頼んだ。
「中計に書いてあることを、本当に実行できたとして——SYTリテールメディア・プラットフォームが動き始めたとして——5年後のSYTはどうなる?」
「売上規模と収益構造が変わり、広告依存が下がります。地銀と流通と組んだ地域経済のプラットフォームにもなりつつある・・、ですかね」
「その状態のSYTは、統合においてどうなる?」
森崎は少し考えた。「……存続会社の候補になれる、かもしれない」
「そうだ」と高野は言った。「吸収される側ではなく、受け皿になれる。収益構造が多様化していて、地域インフラとしての機能を持っていて、データを持っている局——そういう局が、再編の核になる。中部関西FHホールディングスも、おそらくそれをやりつつある。うちが目指すのも、その方向だ」
それは、中計書Ver.2が単なる経営計画ではなく、再編時代の「生き残り宣言」でもあるということだった。
「だから私はあの中計を通した」と高野は静かに言った。
「数字の話じゃない。SYTがどういう局として次の時代に入るか、その答えを森崎くんが書いてくれたんだ」
森崎は何も言えなかった。
高野は少しの間黙って、グラスを見ていた。
「ただ」と高野は、また言った。
「私がその先を見届けられるかどうかは、わからない」
その言葉の意味を、森崎はうまく受け取れなかった。
酔いのせいか、それとも——。
深夜のメッセージ
森崎が帰宅したのは、日付が変わる少し前だった。
妻は寝ていた。リビングの灯りだけつけて、森崎はソファに座った。
高野の言葉が頭の中で反芻された。
私がその先を見届けられるかどうかは、わからない。
あの言い方は何だったのか。体調の話か。それとも——。
スマホのアラートが鳴った。
業界の知人からのメッセージだった。
「高野さん大丈夫ですかね。さっきウェブ記事が出てますよ」
森崎はリンク先の画面を開いた。週刊誌のウェブ版。
見出しだけが目に入った。
「テレビ信陽・高野社長の密会、1年間の不倫関係」
森崎は画面を見たまま、しばらく動けなかった。
居酒屋のカウンター。高野の横顔。
私がその先を見届けられるかどうかは、わからない。
あの言葉は——これを知っていたのか。
ー つづく ー
作:楳田 良輝|Yoshiteru Umeda
*本小説はフィクションです。出典・引用などを除き、登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

