It always seems impossible until it’s done.
小説、テレビ信陽〜第8話「ローカルコンテンツの価値」

小説、テレビ信陽〜第8話「ローカルコンテンツの価値」

締め切りの重さ

3月の第3週に入って、森崎の机の上には二つの締め切りが並んでいた。

ひとつは、Ver.2の提出期限。あと10日。
もう一つは、LAB——ローカルアセットバンクへの参加表明。こちらも、そう長くは引き伸ばせない。

Ver.2は今も書いている。骨格は見えてきた。信陽県の産業構造から逆算した戦略、BtoGへのシフト、地銀連携の具体化。高野社長の全面支持もある。あとは細部を詰めるだけだ——と言いたいところだが、実際には「細部」が一番難しい。

LABの方は、まだ何も決めていなかった。

 

ローカルアセットバンクとは何か

LABは、2025年末に合同会社が設立されたことで業界で話題になっている取り組みだ。全国のローカル局が制作してきた情報番組の映像を、共通のメタデータを付与した形で集約し、配信プラットフォームや自治体、観光、教育など様々な用途に供給しようという構想。これまでは実証実験の形で行われてきており、現在、国内60局以上が実験に加わっている。SYTにも参加の打診が来ていた。

森崎はその資料をあらためて開いた。

考え方自体は理解できる。むしろ、面白いとも思っていた。

米国では「IRIS.TV」が、コネクテッドテレビの映像コンテンツに対してIRIS_IDという共通の識別子を付与し、映像単位でのコンテクスト広告ターゲティングを可能にしている。番組の感情トーン、登場するテーマ、ブランドセーフティのスコア——そういった情報が映像に紐づくことで、「誰に届けるか」ではなく「どんな気分の視聴者に届けるか」という広告の設計が可能になる。

LABが目指しているのも、その日本でのローカル版だと森崎は考えている。55年間SYTが撮り続けてきた信陽の映像——農家の朝、祭りの夜、工場の煙突、山の稜線——それらすべてが「検索可能な資産」になる。どこかの誰かが「信陽の温泉」を求めて検索したとき、SYTの映像が届く世界。

それは、悪くない。

 

 

田所の論理

「参加すべきだと思います」

田所蓮は、森崎が資料を広げているのを見て、珍しく自分から話しかけてきた。

「理由は?」

「遅れるほど不利になる構造だからです」と田所は言った。「メタデータの標準化って、早く入った局が有利なんです。タグの設計に関われるし、自局のコンテンツの分類方法に影響力を持てます。後から入った局は、おそらく、すでにできたフォーマットに従うだけになリますから」

「それは正しい」と森崎は言った。「ただ、メタデータを付けるということは、自局のコンテンツの中身を外に開示するということでもある。55年分の映像がどんなテーマを持っているか、どんな感情トーンで作られているか——それを共通フォーマットで記述した瞬間に、SYTの映像資産の『カタログ』が外部に存在することになる」

田所が少し黙った。

「それは……問題なんですか?」

「問題かどうかは状況次第だ」と森崎は言った。
「カタログが誰の手に渡るか、によって意味が変わる」

 

得るもの、失うもの

森崎が気になっていたのは、収益配分だけではなかった。

LABのビジネスモデルはまだ設計段階にある。映像を提供したローカル局に対して収益が還元される設計になっているが、その具体的な仕組みはこれから詰められる部分が多い。IRIS.TVのモデルでは、コンテンツ提供者側はIRIS_IDを通じて自社の映像データを「セキュアに共有」できるとされている。ただしそれは、データの安全性の話であって、収益の設計の話ではない。

「倉庫を作ることと、倉庫で稼ぐことは別の話だ」と森崎は田所に言った。
「LABは倉庫を作っている。その倉庫に誰が来て、何を持っていって、SYTにいくら入るのか——そこがまだ見えない」

「でも、入らないよりは入った方がいい、という考え方もできます」

「そうだな」と森崎は認めた。「ただ、入ることで失うものもある」

「何をですか?」

「コンテンツの中身が変わっていく可能性だ」と森崎は言った。

田所が首を傾げた。

「LABに参加して、映像素材を共有するようになると——どういう素材が使われやすいか、わかるか」

「テーマが明確で、どこでも通用するもの……ですか」

「そうだ」と森崎は言った。「グルメ、温泉、祭り、絶景。信陽に限らず、どの地域でも消費できる素材。そういうものが数字を持つとわかったとき、現場はどう動くか」

田所は少し考えた。「……そっちを多く作るようになる」

「なる可能性がある」と森崎は言った。「今SYTが作っている番組の中には、信陽じゃないと成立しないものがある。地元の農家が20年かけて作ってきた品種の話。廃校になった小学校の最後の卒業式。陽北の工場街で生きてきた人間の顔。ああいうものは、LABのタグで何と記述する。感情トーン:郷愁。テーマ:地域文化。——それで全部表せるか?」

田所はまた黙った。今度は反論ではなく、考えている顔だった。

「参加すれば遅れを取らずに済む。それは正しい」と森崎は続けた。「ただ、参加することで、SYTが信陽らしいコンテンツを作る理由が、少しずつ薄れていくとしたら——それは中計書に書いている『地域情報商社』と逆方向だ」

窓の外、陽北市の夕景が暮れていく。SYTのカメラが55年間撮り続けてきた風景だ。

 

二つの動き

その夜、森崎は業界のニュースを流し読みしながら、ぼんやりと考えていた。
LABのようなローカル局主導の取り組みが進む一方で、別の動きもある。

今年の2月、総務省が同じ地域のローカル局同士の経営統合を容認する方針であることを発表して以降、「1局2波」の議論は業界の再編をめぐる観測記事として増えていた。系列内の持株会社化はすでに起きている。昨年の中部関西FHホールディングスはその一例だ。次はどこか——という議論が、業界紙の端々に滲んでいた。

そしてその一方で、系列を跨いだ動きを模索している主体がいるとしたら。

ローカル局の映像資産を、LABのように「みんなで共有」するのではなく、資本で繋いだ上で「自分たちのものにする」という発想で動いている主体が。

森崎は引き出しの奥にしまった株主名簿のコピーを、久しぶりに頭の中で思い出した。
陽信投資事業有限責任組合。YGMキャピタルマネジメント。黒沢哲也。さくらTVホールディングス。

LABへの参加が「映像資産のカタログを外に出すこと」だとすれば——そのカタログに最も関心を持つのは誰か。

答えは出なかった。

ただ、LABへの返答を、いつまでも保留しておくわけにはいかなかった。

 

Ver.2の1行

その夜遅く、森崎はVer.2の草稿に1行追加した。

「ローカルアセットバンク(LAB)への参加検討」——第2章・外部連携施策の候補として

「検討」という言葉を選んだのは、意図的だった。

まだ、決めていない。

ー つづく ー

 

作:楳田 良輝|Yoshiteru Umeda

小説、テレビ信陽〜第9話「県警の捜査官」

*本小説はフィクションです。出典・引用などを除き、登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。